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ジャケットの中には歌詞カードが入っているが、これは「聞く人に歌詞も知ってほしい」という姿勢のあらわれかもしれない。

DOLL』(1987年2月号)の「INDIES LIST 永久保存盤PART12」には、このEPに対する、

「ハードコアと言っていいだろう。が、メタルっぽくもありハードロックっぽくもあるが音はとにかく重くパワーがある。印象的なリフに乗って歌われるのはジャケット通りの世界だが、日本語で言葉をはっきりと歌っているのがすごく好感が持てる」

という行川和彦氏によるレビューがある。

遡ること『DOLL』(1986年6月号)の「ミニ・インタビュー」に、

85年9月に1stソノシートを出したあとにメンバーチェンジを行い、ギターはギル氏、ドラムは『本来はギタリスト』というチェリッシュ氏のラインナップとなった」

という旨の記述がある。

この「ミニ・インタビュー」の最後に、チェルシー氏の
「自分達らしさを確立するといった事も含めて、1年後くらいが勝負だと思う」
という発言があり、このEPはその「勝負」だと思われる。

そして余談だが、『DOLL』(1986年4月号)に「訂正とお詫び」として「『チェリッシュ』とあるがこれは『チェルシー』の間違いなのだ!(中略)チェルシー君、許してくれいっ!」)とある。

ちなみにこのチェルシー氏はエクスキュートの5枚目のEP「An Omen of Fear」1986)でドラムを叩いている。

 

私が日本のハードコア、パンクをよく聴くようになったのは友人(厳密に言えば友人の友人)の影響だ。まだ「チェルシー」ではない頃の岸田くんである。

中学時代の友人の内藤くんが千葉かどこかの高校に進学、私は地元足立区の高校に進学したものの交流は続いており、夜はよく彼の家で音楽を聴いていた。

内藤くんが通う高校だったか専門学校だか(記憶があやふや)の先輩には奇形児のタツシさん、メディアのジュンヤさん(のちにREACTIONに加入)がおり、そして内藤くんの同級生で同じ足立区出身の岸田くんがパンクに詳しく、いろいろ聞かせてくれたのだ(エクスキュートの1stソノとかいろんなバンドのレコードを貸してくれた)。

彼とは奇形児や、それから「例のガスバーナー」中野公会堂のライブなどに一緒に行った。

そうそう、西新井と梅島の間くらいにある駄菓子屋で「もんじゃ」を食べたこともあったなぁ。「最後のひと口がヘラでなかなかとれないのがムカつく」的なことを言ってたけっけ(しかし久々にいろんなことを思い出すものだ。昔のダンボール箱の中身は当時の記憶まで刺激する)。


そんな岸田くんがライブをやるということで、応援に行ったライブハウスで買ったのがこのEP。岸田くん(CHELSY)のギターがめちゃくちゃうまくて驚いた(演奏はそのとき初めて聴いた)。

プロデュースはレーベル主でもあるXのYOSHIKIさん。Xは神楽坂のEXPLOSIONとかでよく見たものだ。


岸田くんが亡くなったことをネットで知ったのは最近のこと。あの頃をとても懐かしく思い出す。

 


POISONMYSTERY TEMPTATION(1986,EXTASY RECORD)

収録曲

This SideOVER HEADFIGHTING SOLDIER

Other SideMYSTERY TEMPTATIONLIVE IN THE FIGHT

メンバー

FIGHTING SOLDIER:ボーカル

CHELSY:ギター

ZIN:ベース

RAN-LIN:ドラム